2018年6月30日土曜日

ゴルフ片山晋呉プロの記者会見から、プロスポーツとファンの関係を考える

ゴルフの片山晋呉プロが、プロアマ戦で一緒にまわったお客様に不愉快な思いをさせた問題で、6月27日に記者会見を開きました。

問題発生から十分な時間をかけ、調査委員会による事実確認や規約との整合性などを詳細に明らかにし、処分と改善策まで明確にした会見でした。日大アメフト部の加害学生の会見と同様に、弁護士(テレビでもお馴染みの野村修也氏)が事実関係を詳細に説明する場面や、記者から今回の告発をしたA氏について質問が及んだ際の対応(誰にとか、どう感じたかというのは問題ではなく、片山プロの行為自体に問題があったとして質問自体に問題を提起)など、重なることが多く見られました。謝罪会見としてはよく準備され、丁寧な対応をしたこと、またワイドショーのメイン視聴者である中高年主婦の関心から外れていた(男子ゴルフに興味が無い)ことで、その後ほとんど話題になりませんでした。

一方でこの会見は、プロスポーツのあり方について改めて考えさせられる会見でした。プロスポーツの選手・アスリートの報酬の原資はどこからくるのか?と言うことです。

プロスポーツは誰のために?


第二次世界大戦後、日本は娯楽に飢えていました。戦後の復興・高度経済成長期には映画や演劇などの劇場娯楽が中心でしたが、テレビが徐々に普及して行きます。そのテレビを通して映し出されるプロレスやプロ野球中継は、街頭テレビや銭湯の脱衣所、各家庭で一番の興味関心事となりました。日本のプロスポーツの隆盛の始まりは、競技場という劇場の興業が、テレビというメディアに場を移してからとも言えます。当時のテレビは録画放送はない(できない)ので、まさに日本中がライブで時間を共有していました。
視聴者・ファンにとって、スター選手はテレビや雑誌を通して見る姿が全て。今みたいに写真週刊誌も無ければSNSもなく、メディアに出る選手の姿は試合のライブ放映以外では、雑誌や週刊誌の記事。それは設定されたインタビューか、憧れ持ち上げる記事が中心の時代です。テレビや映画のスクリーンで見る有名人は、トイレにも行かない(はずはないのですが)普通の人とは違う存在でした。
 
それだけに、かつてのプロスポーツ選手には、わがままや奇行が言われる人も多くいました。プロレスでは、ヒール・悪役や覆面レスラーは日常でもそういうキャラクターを演じなければなりませんでした。プロ野球では、球団毎のカラーもありました。紳士の巨人軍と野武士軍団の西鉄ライオンズというように。

昭和の時代、プロの世界で生き残るには、実力と結果(成績)が全て。極論すればプロ野球選手の興味関心は自分の成績だけ。打率やホームラン数、勝ち星など、より良い個人成績を上げて、翌年の年俸をいかに上げるか。プロゴルファーも、上位入賞して賞金を獲得することが何よりも大事でした。
プロ野球やゴルフツアーにスポンサーとなる企業は、人気プロスポーツを本業の宣伝の道具として価値を認めています。新聞の拡販や認知度向上による売上拡大など、本業の業績が上がることを前提に選手への報酬や賞金を拠出していました。

時代が変わった


21世紀に入り、プロスポーツも多様になり、観戦する側は選択肢が広がりました。野球やサッカー、テニス、ラグビー、相撲や陸上などのメジャーなスポーツから、モータースポーツや今ではeスポーツまであります。それぞれのスポーツが、いやスポーツだけでなく、他のショービジネスやエンタテインメントとでファンの争奪戦を繰り広げている状況です。現在のプロスポーツのスポンサーの比重は企業からファンに移りつつあります。同時に強いチームだけが人気がある、集客できる時代ではなくなりました。
プロ野球の球団経営は、親会社からの安定的なサポートをあてにできなくなりつつあります。単独でも収益を上げて行かなければなりません。多くのファンを獲得し、主催試合には多くの来場者を呼び込み入場料収入を上げ、沢山のグッズを購入して貰う。人気球団になればテレビやラジオの放映権も高く売れます。そのためには多くのファンを獲得できる、愛される球団、選手、アスリートでなければなりません。

プロ野球でファンに目を向け始めたのは、Jリーグの発足によるサッカー人気の盛り上がりでした。テレビやラジオではプロ野球よりもJリーグ中継の視聴率が上がり、放送の枠もサッカーに切り換えられ、球団の収入も減っていきます。福岡ダイエーホークスでは、1993年の福岡ドーム開業による人気が一服し、Jリーグ人気と共に来場者が減り始めます。その状況に危機感を持ち、いち早くファンに目を向けたのが当時のオーナー代行、中内正さんでした。
大型スクリーンを活用したファンサービスや勝利の花火など、来場したファンを楽しませるための工夫を次々と取り入れました。ファンクラブのサービスも、当時12球団で随一と言われました。一方、当時の選手の意識にはばらつきが大きく、全員がファンに向いているとは言えない状況でした。ファンサービスに対する球団の対応も当初は消極的で、ホークスファンクラブの責任者をしていた私は、当時の球団代表と度々衝突していました。選手がファンサービスに積極的となったきっかけの一つは、選手一人一人にスポットを当てる「Mr.Hawks」キャンペーン(これを機に選手の意識が大きく変わったのですが、永くなるので詳細は別の機会に改めさせていただきます)。この後は市民球団ホークスとして、市民・ファンと一体となった球団は万年BクラスからAクラスに、さらには日本一を奪取。そして今では常に優勝争いをする常勝軍団となりました。
ホークスが強くなった理由の一つは、いち早くファンに目を向けたことだと思っています。


話を片山プロに戻しましょう。
今回のトラブルの原因は野村氏が指摘し、片山プロも会見で自ら認めているように、時代の変化についてこれなかったことです。新たにゴルフを始める若者はどんどん減少し、プレー人口は減少の一途を辿っています。競技としての人気が下がれば、スポンサーにとっては宣伝の場としての大会の魅力も下がってしまいます。しかしプレーヤーは減っても、観客や視聴者が増えれば、それはまた新たな魅力です。フィギュアスケートなどは、競技人口は少なくても観客・ファンは増え続けています。ゴルフを取り巻く環境は大きく変わり、プレーするスポーツから見る・見せるスポーツに変わりつつあるのです。試合で勝つことだけでなく、プロゴルフを支えているファンやスポンサーにも目を向けることが重要になっているのです。
その変化に対応する形で、協会でも規約改定などはしていました。しかし、仏作って魂入れずで、選手に対しての勉強会や研修会は実施していなかったということを、自ら認めていました。
プロのアスリートとして受け取る報酬や賞金の出所は、そのスポーツに興味を持ち支えてくれるファンの存在がベースに有ると言うことを認識しなければならないのです。ごく普通のビジネス、商売と同じでお客様の存在を正しく理解し、お客様に向き合わなければならないことは同じです。