2015年2月2日月曜日

SKYMARK AIRLINESの話をしましょう

とうとう乗る機会のないままに運行を停止したA330
スカイマーク が、民事再生法の適応申請をしました。負債総額は約710億円。運行路線の縮小とA330の運行休止を柱に、事業の立て直しを目指すようです。

ところで、スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)さんとは、2年ほどご一緒させていただきました。今回の破綻の報道を受けて残念な気持ちで一杯です。是非復活して欲しいと思います。 この機会に私が知るSKYMARK AIRLINESの事を整理してみようと思います(もちろん、守秘義務もありますので限られた情報ですが)。

SKYMARKの星は、はくちょう座から


スカイマークエアラインズは、規制緩和により1996年、当時のエイチ・アイ・エス澤田社長らの出資により設立され、1998年に羽田 - 福岡線で運航を開始しました。普通運賃をJAL・ANAの半額に抑え(確か記憶では13700円だったような。その後徐々に値上げ)、それに対抗する形で様々な割引運賃が産まれました。おかげで私も羽田-福岡間の移動コストがずいぶん抑えられるようになりました。
正規航空運賃を安く抑えるために、FA(フライトアテンダント)が機内清掃(今のLCCでは当たり前になっていますが、当時は画期的)をする事で人件費を削減したり、座席数を増やす(通常B767の座席は、2-3-2の横7列を2-4-2の8列に。しかし3号機以降は通常のシートピッチに)ことで1フライト当たりの収益確保の工夫をしていました。また、Yahoo!やDirecTVなどの機体広告を始め、機内の備品にも広告を入れるなどで運賃収入以外にも収入の道を探っていました。
2004年3月搭乗時のシグナスクラス機内食
一方で、シグナスクラス(プレミアムクラスに相当)では、国内線では初めてとなる温かい食事を提供したり、機内エンタテイメントプログラムや機内誌もあり、サービス面ではJALやANAと同等のフルサービスを目指しました。
私がお手伝いをさせていただいたのは、路線拡大を始めた2002年~2004年3月。経営が西久保社長に引き継がれるまでの井出社長、井上社長の時の2年弱の間です。
今、ウィキペディアを見ても、この当時のことはほとんど触れられていません。就航3年を過ぎて、座席が狭い(というイメージ)や運行便数の少なさなどから、JAL・ANAと比べるとブランドイメージが希薄で、ただ単に安いだけの航空会社になろうとしているところでした。

ところで、SKYMARKの星ですが、あれは何を表しているかご存じでしょうか?もともとは「はくちょう座」から来ているのです。就航当時の尾翼には、青地にはくちょう座をイメージしたマークが描かれていました。「シグナスクラス」のシグナスは、「はくちょう座」のことです。そして、SKYMARK AIRLINESが運行開始した当初、クービー(空美)というキャラクターがいました。そう、「みにくいアヒルの子」です。スカイマークエアラインズは、JALやANAといった世界に羽ばたく鶴やダビンチのヘリコプターから見れば「みにくいアヒルの子」に過ぎないけれど、いつかは白鳥になって世界に羽ばたくのだと、自らの道程・目標をその社名やシンボルマーク・キャラクターに込めていたのです。
白鳥を目指していたので、運賃は安くても(機内での)フルサービスにこだわっていました。

安くても充実した空の旅へのこだわり


私のミッションは「安いだけ」ではなく、「安くても充実した空の旅が楽しめる」航空会社を目指し、イメージアップ・認知向上と搭乗率の改善に向けたコミュニケーション面からのお手伝いでした。
まず、ターゲットセグメント、コミュニケーションワードの設定からスタートです。
何度もスカイマークに乗り、お客様を観察すると、JAL・ANAが圧倒的にビジネスマン、スーツのお客様が多いのに対し、若い人や家族連れのカジュアルな服装のお客様が中心でした。そのためか、機内の雰囲気は明るく、幸せな雰囲気です。ほとんどは自分のお金でチケットを購入して(選んで)搭乗していただいているお客様です。
当時のキャッチコピー「空をもっとカジュアルに」そのままです。
FAや地上職員の制服が黄色だったこともあり、当時のクリエイターさんからの提案でもあった「幸せの黄色いエアライン」をコンセプトワードとして全体見直しにとりかかりました。まず、広告宣伝素材は黄色をベースに段階的に移行していきました。羽田空港モノレールのホームの柱巻きやポスター、印刷物は、明るい黄色がベースとなり、JALの赤、ANAの青に対してSKYは黄色をイメージカラーとして定着を目指しました。
次に、エンタテイメントサービスの充実と機内誌の見直しです。しかし、コストアップになってはなりません。
機内誌は、「幸せを運ぶエアライン」に相応しいものにと、「Smile makes Smile」という誌名としました。奇しくも、SKYMARK AIRLINESの中に「Smile」 が隠れていました。編集については長年携わった隠れた本業です。空の旅、飛行機に関する読み物やトリビア的な情報に加え、読み切りの短編小説、そしてちょ うど鹿児島や徳島、ソウルなどに路線を広げていくタイミングだったこともあり、就航先の情報も充実させました。機内で読まれる(あるいは持ち帰られる)充 実した誌面とすることで、広告出稿価値を高め、便数・路線数の拡大(部数拡大)のタイミングと営業スタッフの頑張りもあり制作費を広告収入でほぼ賄えるよ うになりました。

「Smile makes Smile」は、機内誌の誌名だけでなく、ポスターや機体にももう一つのキャッチフレーズ・シンボルとしても使われるようになりました。
一方で、FAのサービスも大手に負けないようなサービスをと、大手航空会社の客室乗務員OBによるサービス訓練やマニュアル整備もすすめていました。

音楽プログラムは新人発掘と発表の場に


大手航空会社では、機内プログラムで音楽や落語を流しています。機内で音楽を流すとJASRACに音楽著作権使用料を支払わなければならないのですが、これが驚くほど高いのです。JASRACで機種ごとに1か月の利用料を決めてあり、所有機材数をかけて計算します。 そこで、JASRACが管理していない、インディーズやデビュー前アーティストの楽曲でプログラムを組みました。放送局やライブハウスとコラボし、機内を新人発掘プログラム・発表の場と位置づけたのです。
他にも、コストをかけずに機内サービスを充実させるために、機内を商品サンプリングの場として希望するお客様に商品サンプルを配ったり、様々なアイデアを実行に移しました。

幻となったキャラクター


「幸せの黄色いエアライン」というコンセプトでコミュニケーション・サービスプログラムを見直す過程で、見直すべき事がもう一つ出てきました。「クービー」です。
就航時は「みにくいアヒルの子」でしたが、就航から3年も経てば、白鳥にはなっていなくても若鳥くらいにはなっているだろう、と。「クービー」のキャラクターイメージと現実との間にギャップが生じていたのです。この頃は、「クービー」が印刷物や広告宣伝素材に登場することは無くなっていました(機内ビジョンの案内に一部登場)。
そこで、成長して青年になったクービーを新たなキャラクターとして設定してはということになりました。人間で言えば18歳ほどで正義感が強く無鉄砲。曲がったことが嫌いで、慣習やしきたりにとらわれない、やらずに諦めること、肩書きに屈することが大嫌い……という設定。
若手のイラストレーターにコンペへの参加を呼びかけ、多くの応募をいただき選考までは進んだのですが、そうこうしているうちに社長交代や体制変更などで決定が先送りとなり、日の目を見ないまま幻となってしまいました。

そして経営は西久保社長へ


客席数も増やして国際線でも就航させることを前提に採用したB767は、平日のビジネス利用客を取り込めず、搭乗率がなかなか上がりません。債務超過に陥りそうになったところに西久保社長が30億円を個人で出資し筆頭株主となり、2004年に社長に就任しました。
大胆な改革を進め、機材をB767からB737に小型化し、整備や運航コストを下げつつ搭乗率を上げていきました。その過程で、機内サービスの簡素化や業務の効率化を進め、機内誌も廃止しました(後にSKYMARKとして復活)。徹底した効率化で、念願の黒字に転換しました。
しかし……
その後のことは、この1週間ほどで様々に報じられているとおりでしょうし、私はすでに一利用者でしかありません。


こうして振り返ると、西久保氏は幻となった青年クービーそのものだったのかもしれません。航空業界の慣習やしきたりに囚われず改革を進め、時に物議を醸しながらも前に進んでいきました。
今回の破綻からは必ず復活すると信じていますが、おとなしいスカイマークになることのないよう願うばかりです。