2020年4月2日木曜日

コロナ禍のロックダウンで暗く沈んだNYを見て重なる、911直後のNY

新型コロナウィルス(Covid19)の感染拡大で、ゴーストタウンのようになったヨーロッパやアメリカの静かな主要都市の様子が毎日テレビに映し出されています。いつのまにか世界の感染被害の中心地となってしまったニューヨークは、どこまで感染が拡大するのか、感染拡大を抑えきれるのか、世界が特に注目しています。
そして私は、ニューヨークの様子を伝えるニュースを見ていると、デジャブの様な感覚を覚えるのです。

911アメリカ同時多発テロ直後の空気


19年前にも、世界の注目がニューヨークに集まる事件が起きました。アルカイーダによる911アメリカ同時多発テロです。貿易センタービルに2機の旅客機が突っ込み、その崩れ落ちる様子が世界に生中継されました。
2001年9月11日は台風15号が関東を直撃し、大きな被害が出ています。この日私は福岡にいたので、東京の家族の事も気になりニュースステーション(まだ久米さんの時)を見ようとテレビを点けました。しかし、台風の情報ではなく煙を上げる貿易センタービルの映像が映し出されました。最初は小型機がぶつかったのではという解説でしたが、暫くすると2機目が突っ込んできました。それからは複数の旅客機がハイジャックに遭っていることがわかり、ほぼ徹夜でチャンネルを回し、テレビに釘付けでした。

当時ニューヨーク在住だった大学の後輩や友人と連絡を取り、安否確認やNYの様子を聞いているうちに、このテロをきっかけに世界が大きく変わる予感がしました。この頃、マーケティングをReputationという視点で捉え直す作業をしており、まさに911直後の10月にReputation Management の商標出願をしたところでした。
日本でリサーチできる範囲では、同時多発テロの後マンハッタンから本社を移し逃げたと批判された企業もあれば、新聞にメッセージ広告を掲載する企業など様々な動きがありました。オノヨーコさんが、ジョンレノンの「imagine」の歌詞でニューヨークタイムズ紙に全面広告を出して話題にもなりました。
そして私はニューヨークの空気を体感しておくべきだ、と思い至りました。テロから2ヶ月半後の11月30日、ニューヨークへ飛びました。まだ世界的に米国への渡航が避けられている時(従業員の安全確保のため取材でさえも渡米をさせず、媒体社に勤める複数の友人から羨ましがられました)で、ANAの機内は空席だらけ、乗客の多くは米国の航空会社を避けたアメリカ人のようでした。

ニューヨーク・JFKに到着し、マンハッタンに向かう時に誤って白タクに乗ってしまい、怖い思いをしながらもなんとか無事にホテルにチェックイン(長くなるのでリンクのQuoraの投稿をご覧ください)。

WEBER SHANDWICK 社のロビー
画面にダウジョーンズの株価。当時はまだ1万ドル以下

NYに到着した初日は、大学の後輩にコーディネートしてもらった世界的なPR会社 WEBER SHANDWICK 社を訪問し、ニューヨークに本社を置く企業の動向をインタビューしたり、電通さんの友人を介して紹介していただいた人から、広告業界を取り巻く変化などを聞いたりしました。
夕方から福岡の異業種交流会の仲間で、福岡ではよく一緒にお酒を飲んでいた朝日新聞社のNY支局の崎川さん(彼は帰国後、2017年にハフィントン・ポスト・ジャパン株式会社の取締役CEOに就任)を訪問。夜はみんなでディナーのテーブルを囲みました。この時、「911以降、初めての日本からの来訪者だ」と一様に言われました。

この時のニューヨーカーはテロの被害に打ちひしがれ、みな言い知れない恐怖と孤独感から逃れようとしているようでした。街に賑わいはなく、どこかひっそりとしています。特に一人暮らしの若者は誰かと繋がりたい、言葉を交わして安心したいと、人気のあるCafeなどに足が向いていました。日本人が東日本大震災の後に抱いた感情に近いかもしれません。今ならSNSやビデオチャットで顔を見ながらの会話も可能ですが、2001年当時はまだスマホも登場していません。

 そこで登場したのが、見知らぬ人とも話ができるカフェ。 大学の後輩にサポートをお願いし、出かけました。
この Remote というCafeは、入り口やフロアなどを撮影するカメラがあり、その画像はライブでウェブサイトと各テーブルのモニター画面(当然モノクロ、しかも粗い画面です)に映し出されています。各席にはモニター画面の他に受話器とボタンなどが並んでいます。ボタン操作でモニターに映し出すカメラを選ぶことができ、この人と話をしたいと思ったらその人が座っている席に合図を送ります(ランプが点くようです)。
オファーの相手に対して、応えても良いと思えば受話器を取って話をするという仕組みです。
私はそんなコミュニケーションが取れるような英語力も無いのでオファーをすることも受話器を取ることもありませんでしたが、いわゆる出会い系のような浮ついた空気感はなく、むしろ教会や寺院にいるような不思議と静かな(音楽は流れていました)空間を後にしました。

HEROを讃える


グラウンドゼロに向かうと、まだ焦げ臭い匂いが立ちこめていました。周辺は立ち入り禁止となりフェンスと網で囲われていましたが、その隙間からは崩れ落ちたビルのがれきや溶けて曲がった鉄骨などが生々しく、まさに大きな爆弾が落とされた痕のような光景が広がっていました。

網やフェンスには行方不明者を捜すメモや花束、メッセージなどがたくさん張られていました。

中でも、消防士への感謝の言葉やメッセージは至る所で見られ、消防署には殉職した消防士の写真が貼られ、花がたくさん置かれていました。



何かと重なる911後とコロナ禍の今


貿易センタービルで火災に立ち向かい救助にあたった消防士と、ウィルスに立ち向かう医療従事者を共に市民は讃えます。孤独感を紛らわせるために誰かと言葉を交わしたい911後と、目の前に人はいるのにソーシャルディスタンスをとらざるを得ず、物理的にだけでなく心理的にも距離感を埋められず、市民が鬱々とする今。

そして、911の時に陣頭指揮を執ったジュリアーニ市長と重なる、ニューヨーク州知事のアンドリュー・クオモ氏の強いリーダーシップ。

クライシスに際して求められるのは、決断力と強いリーダーシップです。日本でも行政のリーダーだけでなく、それぞれの企業でもTOPが強いリーダーシップを発揮してこの困難を乗り切らなければならない時なのです。