2018年7月31日火曜日

日大 第三者委員会の指摘で明らかになった口封じ工作と機能しなかった危機管理規定の存在

昨日、悪質タックル問題で日大の第三者委員会が、最終報告書を発表し、夕方記者会見を開きました。
記者会見は1時間45分ほどに及び、冒頭の事実経過説明では、当該選手とその父親を呼び出し、当時理事だった井ノ口氏が「本件タックルが内田氏の指示によるものではなかったように説明するよう促し、本件タックルが故意に行われたことになればバッシングを受けることになるよ。私の言うことに同意してくれれば、私が一生面倒をみる。ただ、そうでなかったときには、日大が総力を挙げて、潰しにいく」といって口封じを図ったと詳細な説明も行われました。
この恫喝のような口封じに、よく屈しなかったものだと、改めて親子の意志の強さに感心します。

最終報告書の要旨説明では、責任の所在が不明確であること、学生ファーストの視点の欠如、説明責任を果たす姿勢の欠如などが指摘されましたが、なかでも私が注目したのは2点です。

機能しなかった危機管理規定


1点目は、危機管理規定が存在しながら機能しなかったことです。
会見では「適切な事故対応を行う上で必要な責任体制がとられていなかったこと。日大には危機管理規定、 危機対策本部等の仕組みが設けられていたが、それらが有効に機能することなく、事故対応の措置がほとんど後手に回り、日大のレピュテーションダメージを拡大させることになった」と指摘しました。
具体的には「当事者意識が希薄で適切な基本方針が欠如し、日大としては一競技部の問題とせず全学的に対応する問題と捉え、日大本部として深くコミットし適切に対処すべきであった。しかしながら、日大幹部には当事者意識が希薄であった事に加え、対応方針の決定やそれに基ずく措置の実施に関する責任の所在も不明確であったことから、主体的かつ実効的な事故対応ができなかった」とまとめています。
危機管理規定が存在し、恐らく危機対応マニュアルも整備されていたのでしょう。しかし、 危機対策本部を立ち上げ指揮を執る人間が不在だったということです。

一般企業でも、BCPやCPといった危機対応プランを策定しますが、マニュアルが整備された段階で安心してしまい、実際の運用のシミュレーションや継続的な見直しを続けているところは多くはありません。
いざというときに重要なのは、準備したプランの発動を誰が宣言し、責任を負って指揮を執るかということです。そこが明確でなければ、どんな立派なマニュアルでも絵に描いた餅です。

危機に際しての広報の役割


2点目は広報のあり方について言及されたことです。
広報のあり方も適切さを欠いていたと指摘し、「日大ひいてはそのブランドイメージが悪化の一途を辿っていった。日大においてはしっかりとした説明責任を果たし、信頼の回復に努めるべく適切な広報に努めるべきであったが、事故対応における基本的な視点が欠け、広報としての本来の役割が果たせていなかった」とまとめました。
近年、企業に於いても広報業務を外注し、社内に広報の専門部署を置くことは少なくなってきました。広報部門があっても、このような場合の危機対応について経験や訓練を積んだ担当者は極めて希な存在です。内田前監督らの緊急会見の司会進行をした、日大広報の担当者も元記者で素人ではありませんでしたが、あのような批判をうけることとなりました。

記者からも「日大で広報が適切に機能しなかった 構造的な原因があったのか」との質問がありました。それに対しては、「説明しようとする姿勢に欠け、都合の悪いところにはできるだけ蓋をしてしまおうという発想になりがちだった。説明責任の乏しさが広報の根本的な考え方の問題」と答えています。
広報業務、特に危機に際しての対応は、第三者のアドバイスも求めながら進めないと我田引水となり、取り返しが付かない結果を招きかねません。当事者でありながら第三者の目と想像力が求められるのです。

この報告を受け、内田・井上両氏を懲戒免職としただけで日大は何も動く様子はありません。拡大した日大のレピュテーションダメージが回復するとも思えません。質疑応答では、田中理事長の進退についての質問が大多数でした。大学・理事長の責任の取り方については、第三者委員会もはっきりと言及することなく終わってしまったことにより、この報告書自体も絵に描いた餅になってしまいそうです。
このまま、内にも外にも説明責任を果たすことなく時が経つのを待っている限り、日本大学の来年の志願者が減ることは避けられそうにありません。

追記
アメフト関東学連は、日大アメフト部の公式戦出場資格停止処分の解除を見送りました。